枯れた花_前の章










厳しく優しい人たちだった、薔薇様たちにとって私は『特別』だったのだろう。
ごく普通の女の子だから。
なにかこれといって秀でた所もない、クラスで主導的役割演じたこともない。

それでも、一緒に歩いてくれた。
まるで夢のようだった。
同じ方向に向かって、でも私には少し早くて、だから気遣ってゆっくりと歩いてくれた。

途中で立ち止まることはなかったのだけど、絶えず誰かと話して歩んでいたのだけど。
ふと、途切れる会話の隙間に。
後には何があったのかと、過去を振り返りそうになったことが幾度かあった。


振り向かなかった、いままでは。

でも、でもだ。

今は違う、慕う人に欺かれた今は・・・過去に自分に過ちがなかったか事細かに調べてしまう。
そこで見つかる悪いものが、薔薇のつぼみを枯らせてしまう。
それは積もる純白の雪、死を誘う氷の結晶・・・それが降る季節には温室でしか薔薇は咲けない。

まさか棘になろうとは思わなかったろう、前紅薔薇さまも『遺言』が祐巳にとっての棘に。
誰も気が付く事なかったか、それを興味持って詳しく知ろうとしなかったが
間違いなく福沢祐巳は心の底からの・・・聖なる者とは違うのだけれど、とても善い人なのだから
行動原理もそうなっている。
心配をさせたくない。
親友にも、姉にも、弟にも、たとえ誰でも。

心に刺さった棘の痛みが片時も和らがなくても、妹として今は微笑んでくれない姉を支えようと笑顔でいた。
卒業して、もう会えないおばあちゃん、水野容子さまの代わりにはなれない。
あの人のようには出来ない。
だから私の役目はきっとこうして耐える事なのだと思う、良い妹を演じること・・・。
百面相とか大根役者とか揶揄されていたが、意外とそれは誰にも問われなくことなく過ぎていった。

「次の約束を、してください。いつなら!?」
「・・・・わからないわ」
「そんな、どうしてそんなに私を」
「いいかげんにして、泣き言をいって・・・それで叶うなら私がそうしてる」

約束の日、それまでなら耐えれると自分を騙す悲しいマラソンランナーの心境だった。

今はもう約束を破ってしまう姉など、怖くはない。
叱り付けられても私は少しも恐ろしくない、本当に怖いのは約束を破ってしまうこと。

きっと、あのとき、容子さまに感じた姉というものを祥子さまは未だ持てていない。
だから私は耐えている、一刻も早く立ち直ってもらう為に瞳子ちゃんの言葉にも耳を塞いで。

私の居場所に彼女がいても赦されていた。
・・・祥子さまは立ち直って私との約束を本質的な意味で守ってくれる気があるのだろうか。
そう疑ってからは妹だから支える、支えているとは感じていなくなっていた。
耳を塞いで、口を結んで、目を閉じてしまったわけではないのに・・・心が強くなったのか。
あまりの痛みに、心が痛みに鈍ってしまったのか。

「行きましょう」
「瞳子ちゃん・・・祐巳、その話は後で電話するから」

またお姉さまは私以外の子に気遣って、妹の私をないがしろにする。

よくここまで私の心は耐えたと思う、憎しみと言う後押しなければ大人しく聞き分けていたか、泣いて
しまったろう。置いていかれる私、は一人きりになれる場所を探す。

「仮にも姉妹というならせめて、近くにいてください。優しい言葉は欲しくなくなりました」
「瞳子ちゃんは、違うのよ。
祐巳とは、違う」
「当たり前ですっ!わたしが・・わたしがどんな思いで見ていたと」

私たち姉妹の始まりに語ったあなたの言葉を返そう、人の思いを理解できないとは今この時にあなたが
したこと、いったことだ。柏木さんとは似たもの同士ですよ。良い夫婦になれるでしょ・・・。

諦めが体に浸透していく・・・それでもまだ私はロザリオを肌身離さずに持っている。
つき返したらどうなっていたか、松平瞳子に目の前で渡されもせずにいれたのか。
未だ未練なのか。
いつまで踏ん切りつかない、目を伏せて考えに没頭していると、いつのまにか二人はいない。

「あ・・・行っちゃった、置いて行かれたのか」
「あの、どうかされて?」
「なんでもな、いです。ごめん」

祐巳は走り出した。
いつまで欺き続けるのか、明日になれば姉は笑顔で接してくれるのか。
まったく正直者は損する。
こんな時に由乃さんなら瞳子ちゃんをいじめるか、そうでなくても何かしら騒動を起こして
姉の気を引くのだろう。私は駄目だ、怨むことしか出来ない、そしてそんな自分に耐えれない。

「あら祐巳さん?どちらに行かれるの、雨の中」
「薔薇の館に、少し」
「あの・・・元気ありませんね、失礼だと思いますが」
「急いでるので」
「そう?なら、では、わたしはこれで」

少し前まで、つぼみと祐巳と両方使われていたが今ではクラスメイト以外はつぼみで統一されている。
相手の顔を見ずに生返事して戸惑っている、そんな雰囲気なので早々に別れた。

自分はすぐに噂にはならないだろうか、雨に濡れて薔薇の館に曇った顔で行くなんて異常すぎること。
お嬢様たちのひとり、それどころか手本となるべき生徒会の一員なのに。
明日にも何かあったのかと聞かれるのは避けられない。逃げる場所はない。
でも・・・それでもいい。




引き返すこと出来ないのだから、言い訳なんてしなくていい。弱い自分を振り切って
近づく目的地、速い足取りで階段を上がり、誰も居ない部屋に駆け込んだ。
───いつも自分の居た場所に。

ザーッッ

強くなってきた雨、心の冷え切りは今、この幸せのあった場所で最悪になり・・・思い出す総てが
嫌悪感から配色脚色されて、絶望の崖からさえ突き落とされた。涙が止まらない。

ぽた

ぽた

あつい。ひとみ、とじて、とまる、ならば、ひらいたまま、ながしつづけよう。
へやのなかも、みたくはない。
なみだでみえない。
いつかの、たのしそうなわたしたち、とあね。それさえもうみえなくて、いい。

「・ぃ・・・い、・・して」

もう、ばらはかれて、そのしたからのびた、ちがうはなの、めはつぼみとなり、いまにも。

疑問と嫉妬、猜疑と憎悪・・・それらは陰なる太陽の光となって合成を促し
胸の痛みは身を切り裂く強風だが、それでもしっかりと根付いたリリアンに似合わぬ草花。

花開くには最後に水が必要だ、大量の、溺れるぐらいの。そうして雨の中で異色の華は遂に花開く。

「もういらない、こんなもので私の心を、自由にできるだなんて」

首に手を、手を離す。たったそれだけで大切に肌身離さずしていた絆と別れを、ロザリオをこの場所で
捨てる。妹なんていらない、姉なんていらない。いい加減にして欲しい。
出会わなければ良かった、本当に酷い運命を私に用意してくれた。なにもかも気に入らない。
指導と支え、スールの役目も果たさない姉なんて私には必要ではない。
互いに信じてはいなかった、足りなかった。

「つぼみ、祥子様に新しく貰うんだろうね。あなたは私と違う身分になるのだし」

地面や床に捨ててもリリアンでは親切な誰が私に届けてくれるだろうから
燃えるゴミと書かれた箱の中に捨てた、次に気づいたときには火の中。
灰に埋もれたそれを誰かが気がついても誰のものか、分からないし欲しがらないだろう。

祐巳にとっては最早それだけの価値があるとは思えなかった、この場所もこれきりだ。
由乃さんには教室で志摩子さんには教室でも桜の木の下でも会える。
ただすこし疎遠になるだけ、それだけこと。

本当に壊したい人は、ただひとり小笠原祥子さまだけなのだから目的が達成されれば
ほんのすこしは嬉しいはずだ。
悲しいとか怒りが混ざって、どんな風に表せばいいのか?一度も無かった感情だが
さっき沢山泣いたので今はただ空虚に笑いたかった。
口を開けてあは、ははははは、と笑う。








イエローローズ騒動も前代未聞だったが、その顛末はわりと細部まで正確に知られていた。
あまり誉められない新聞部の活躍もあり、収拾された後は以前と変わりなく…妹に少し変化があったものの。
山百合会は元の姿に戻って平穏が続いてきていた。

それが今度は白薔薇に妹が出来たかと思えば、紅薔薇姉妹が危機であるとは…。
一年、次々と変わる生活のなかで仲良くしていると誰もが思っていた。

「なんか落ちつかないのよね、ねえ本当に知らないの?蔦子さんの姿も見えないし」

由乃は妙によそよそしいクラスに堪りかねた様子、情報通の蔦子と話そうと思ったがいなかった。
欠席であるはずない、気がついた時にはいなかった。
真美を捕まえて自分たち、たぶん志摩子と祐巳にも話さないように流れている噂が何か問う。

「私もすべて掴んではいないの、昨日起きたことらしいけど」
「帰りまでには形になってるわね…お姉さまにも聞こうかな、分かったら報告して」
「それはいいけど。私の感なんだけど、この空気は革命の時と似てると思うの」
「わたし?身に憶えないんだけど」

ロザリオつき返す、そんなこと出来るのはまだ半分以上リリアンに染まっていない
二条乃梨子と私だけだろう。できたての白薔薇が崩壊する理由は見当たらず、そして
紅薔薇の祐巳さんには失礼ながらそんな度胸はない、島津由乃はそう思い込んでいた。

そんな、この頃元気なかった親友はちゃんと来ているし、心なしか今日は笑顔取り戻しているようだ。

「気が付いてないんでしょう、もう・・・噂探ってみるわよ、いい?」
「え、なに由乃さん。誰の噂?」
「私も人の事言えないけど、まったく知らない祐巳さんほどじゃないのよ?
悪い噂ね。それがどうやら山百合会がらみと私はにらんでいるわ、だから今日は私と一緒に真相探し」
「うーんいいよ、手伝ってあげる」

あっさりと同意してくれた、姉と仲直りできたのだろう…そもそも喧嘩別れなどしていなかったのに。
気に障る一年生がいけないのだ。
紅薔薇と黄薔薇のつぼみは他人を振り回すタイプで、なかなか話したりしない。
だから姉を通じてのみ、祐巳を通じてのみ知っていると言える。

だから余計な気遣いではないだろうか、そう思いつつふと祐巳の首元に目をやると。

「あれ?祐巳さん、今日は…え?」
「どうしたの」
「笑って、何かおかしなことあった?」
「ないよ」

なにもないよ、首にロザリオがないことなんてちっともおかしくない。

「ふぅん・・・ロザリオは、ポケット?」
「忘れたのかも、昨日雨に濡れちゃったから」
「祐巳さんが?へぇ、信じられないなロザリオを身に付けてないならすぐに気がついて遅刻してでも」
「はしたないでしょうリリアンの薔薇のつぼみが、遅刻なんてしないよー。けれど」

「あの二人
     は仲良く遅刻するだろうね、お互いに甘いし我が
                            ままだし・・・」

祐巳があまりにも平然としていると由乃さんは別の方向から追求の手を回して来た。
忘れましたなんて、のは在り得ないとすぐに看過される。
だって小笠原祥子の妹を射止めた奇跡を起して、それでシンデレラと言われたのだから
その証は大切なはずだ。

「なに?」
「え、なにか私いった?」

とぼけてみせるのも、簡単な事だ。




押しの強い自分なら三年はともかく一年の誰でも流れている噂を教えてもらう事、簡単だと思っていた。
しかし、絶妙な所で助け手を入れる人物が一緒にいたのだ。
最初はつぼみが苛めて泣かせては、恐れられて怖がられてはいけないからと黙認していた。

「ねえ祐巳さん、知りたくないわけじゃあないんでしょう」
「かわいそうだったからね、ねえ駄目だったかな」
「別に、かまわないわよ。でもどうして誰も、話したがらないのかしら?
時には努めて優しく聞いたんだけど・・・」
「由乃さんの顔が恐いんじゃないかな」
「祐巳、さん、怒るからね。仕方ない令ちゃんに聞きにいこう、あとは真美さんのところ寄って」

それにしても、最後の一人は聞きだせると思っていたんだけど。
突然口重くなって祐巳さんのことばかり見て、様子がおかしかった。

「祐巳さま」
「ごきげんよう瞳子ちゃん、どういう風の吹き回し?」
「黄薔薇のつぼみ、ごきげんよう」

廊下でばったり、というわけではなさそうだ。
何を考えて居るのか邪険にしてた紅薔薇のつぼみに用があったみたいだ、私は・・・。

「ごきげんよう」
「これから少しよろしいですか、私と」
「ちょっと待って、遠慮してくださるかしら祐巳さんは今日は私と」

祐巳さんに話させないようにと瞳子の前に出て、真っ向から視線を送った。
相手も小生意気な顔で返す女優志望。
火花を散らしたふたり、下級生で島津由乃に立てつこうなどリリアンでは皆無なのに。

「松平さんと少し話したいことあったし、ごめんね」

珍しい、祐巳が由乃をおさえて強引に瞳子を連れて行ってしまった。
逃げられた・・・ある意味これも仲裁の形だろうか、場は収まるが取り残された一人は不機嫌だ。

収まらない由乃に話し掛ける相手が現われる、意外なことに今まで数回しか話した事無い
白薔薇のつぼみだった。立場的には少し見劣りするだけだが、学年の違いが大きく先代の白薔薇を
髣髴とさせるクールさで友人との付き合いは紅薔薇のつぼみと比べるとかなり薄いらしい。

「来てたの?なに付き添い?」
「いいえ、止めたんです。良くないことが起きそうだと思って」
「噂、知ってるんだ。中身は何?祐巳さんは関係ないはずでしょ、革命なんて」
「革命は知りませんが、お二人が聞きまわっていたのを見て確信しました。
祐巳さまがプレッシャーをかけている所なんて、衝撃的でしたから」

乃梨子が言うには、睨みつけていたそうだ。
由乃が振り向いた時には笑顔で優しくフォローして、その二面性は恐怖だろう。

「祐巳さんが?まさかー」
「いいえ、だからこそ瞳子を止めようとしたんですが、紅薔薇さまが」
「いつもそう、仲直りした後なら機嫌良いからね。
まったく世話焼ける姉妹だこと、直接聞きに行っても…何なら私の姉もいるし」
「違います、今日は欠席なされているんです。詳しくは話してくれませんでしたが
ただの風邪だと、病気だと、瞳子が言っていました。・・・私に、嘘ついてるんですよ。
どうしてかは想像のしようがありませんが、祐巳さまの豹変に関係しているかなと」

だって、それじゃおかしいじゃない、気落としてた祐巳さんが元気になる理由なんてまるきりない。