◆エピローグ◆     年はなかば、流れて     







運命という極めて曖昧な言葉がある、それが結果と過程のどちらにも使えてしまうから時と場合によって
意味合いが大きくずれてしまう。人と人との出会いや、天地の狭間で起こる様々な現象に至るまで使われている。
便利な言葉である。



「・・・志貴?」



たとえアトラシアでなくても私は見間違えるはずもない、私の愛する人を。



「待って、待ちなさいっ・・・いない?」



後を追ってすぐに路地に入ったが、そこはガラクタがあるだけで志貴はまるで煙のように消えていた。
今日はとても暑く疲労も残っているが、幻だったのだろうか?

確かに先週からの強行軍、あの日真祖の奪われた志貴の捜索をバルカンの一地方で徒労に終えて
意気消沈しエジプトに里帰りして来たのだが・・・。
まさか、このアレクサンドリアで志貴の姿を見る事になろうとは思わなかった。

ルーマニアから地中海へ出る陸路、真祖が選びそうな道で待ち構えていたのに。
真祖はおろか死徒も代行者も現れなかった。
ちなみに空路は私が完璧な情報網を握っていたから、除外していた。

いつまでもこうしていても仕方がない、アトラスにいったん戻ろうと振り返ろうとした。
私はいつでも正しい行為、違う、私は正しい行為と信じて行動している。
今も視界の隅にあるものを見咎めると、息を呑むより早く体を完全な停止状態にする。



「・・っ、手を挙げさせて貰っても良ろしいでしょうか?」

「シ、シオン!?」



強盗?可能性として浮上さえしない、アトラスの錬金術師の裏をかくなど。
協会?協定は今だ有効で、私への干渉は交渉材料にしかならない。
アトラスも、代行者も、真祖も・・・だとしたら?誰が?

此処まで油断してしまうなど堕落したものだと思った、しかし首にあてられたナイフに見覚えがあり安心した。
思わずこぼれる笑み、彼は相変わらず鈍感だったし、彼はどんな時でも突然に私を狂わせてくれる。

しかし、本当にいつのまに?
この狭い場所では気配を消しようがなく、だからと言って認識できない程の速度だったのだろうか?
殺人貴の技は不可解だ、私の蓄積したデータの中にはなく、そして予測が難しい・・・児戯ではないのだから。
興味あるが、今は実践で志貴と殺し合いをしそうになり、その実力の一端を知った驚きの方が大きかった。
・・・志貴は世界というシステムを覆すジョーカーだ。
天賦の才と直死の魔眼の相性は抜群に良く、存分に使用すれば・・・予測できない未来、素晴らしいと思う。
ああ、私は何を?血は争えない・・・停止。停止。停止。
ごく、と鳴る喉と凍っていた背筋を溶かして頭のフードを取る。
・・・これが志貴の中に在る七夜、と分割された思考は今の貴重な体験を保存していたが・・・。



「そうです、志貴・・・志貴・・・志貴・・・」



冷静で居られたのは振り返るまでだった、久しぶりに志貴の顔を見たら
体は嘘はつけなくて、他に何も考えられなくて、頭の中は真っ白になってしまった。
愛しい人に抱きつき、何度も彼の名を呟き彼の胸に顔を埋める。
日本と一万キロ以上離れた此処でまた、私と彼は出会った。
まさに運命的に。

志貴も私も、砂漠を渡る野暮な格好を解いて近くにあったカフェに寄った。
双方とも現在置かれている状況の説明と情報交換をした。
志貴があの姫達からの逃亡劇を面白おかしく聞かせて、シオンが厳しい突っ込みを入れたりした。
実はそれほど笑える状況ではなかったのだが、志貴の楽観主義に志貴はまったく変わっていないのだと安心できた。



「そうでしたか、しかしエジプトにはすぐに手が伸びるでしょう」

「日本は遠いし帰れないし、シオンと会える可能性があったエジプトに着たけど・・・どうしよう?」

「アトラスへ院の連絡は、そうですね・・・少し延ばしましょう。
今は使われていない大西洋岸地域にある施設に身を隠して、時期が来るまで待ちましょう」

「時期っていつまで?」

「私の属する組織と外部との協定締結工作です、それと志貴の立場確保ですね。
それから・・・志貴の自己認識に変化無しのようですから、能力者本人が価値を理解できないなら
伴侶である私がそれを矯正してゆく義務があるのでしょうから・・・まずは・・・その・・・・・・」



シオンは珍しく逡巡して、言葉を継ぐ様子なく
じぃーっと志貴の顔を観察して、目をそらし頬を染め・・・。



「ちゃんとした・・式をですね、その挙げても良いのではないのかと。
私のお腹も目立つようになる前に、と思いまして・・・式はやはり人生の通過儀礼として大切だと思うわけで」

「え?俺がどうかした?」

「ち、ちがいます!なにを、なぜ私からはっきりと伝えなければ・・・ああっ、そうですか!?そうなんですね!?
真祖にかどわかされ連れまわされ、命からがら逃亡して・・・なら、忘れてもおかしくはないです。なら、許して差し上げます」

「命からがら・・・かなぁ?」

「しっかりと、物覚え悪い志貴の記憶にも残る結婚式を挙げましょう、良いですか?
志貴・・・わたしに花嫁衣裳をきせてください」

「え、あ・・・そう言えばそうだったね、うん・・・しようか?二人で」



その言葉から二人だけの新婚生活は始まった。
だが今は、地中海に開けたこの都市に滞在するのは危険を伴い、また式の準備期間など論外だった。
幸か不幸か招きべき志貴の友人たちは遥か彼方なので、事後連絡に証拠写真を送ることにした。

次の日の朝早くに二人は教会で永久を誓い合った。
白み始めていた港町の空は、志貴と出会ったシュライン。
その最後の一夜、悪夢から覚めた朝日に似ていた・・・悪夢が覚めたあの日に。
志貴が娶ったアトラスの娘は、純白の綺麗な花嫁衣装に身を飾って微笑んでいた。
誰の祝福を受けなくても、傍らにある事の幸せが二人を包んでいた。






 ■ ■ ■ 






過去の半年間、志貴はアルクェイドに連れ回されていた。
アルクェイドには持ち得る特殊能力で、志貴をどうかしてしまおうとする気はなかったようで、
相変わらず子どもっぽく気を引こうとしたり、日本でのデートの延長上のような事を毎日志貴に要求していた。
ただ、いくら活動期間が一年に満たないと言っても、千年城でかくれんぼや追いかけっこはどうかと思う。
アルクェイドはシオンの話題を出すと話を聞こうともしなかった。
志貴がガキだな〜と正直に言ってやると途端に拗ねてしまう我侭なお姫様だ。

しかしそれはシエルやその上司、そして二十七の厄介者たちがやって来るまでの事。
高位の吸血鬼たちは一騎当千、戦闘は戦争だった。
一夜で地形が様変わりしたりしたせいで、ニュースで隕石落下と報じられたり
異常気象寒波到来河川増水などなど・・・。
死徒の絡んだ大事件の只中に居合わせる、ではなくその中心に居た。
そのせいで大欧州を渡り歩く羽目になったが、今はようやくアトラス院の一員として迎えられている。



「ここが安らかなる地とは限らないわけです、志貴はブルーに言われたでしょう?」



そのシオンの言葉が示す通り、直死の魔眼は多くの錬金術師に最高の研究材料として目に留まり、
多くと言っても片手で足りる程度だが・・・。
例えば、内部ではシオンの報告を受けた者たち、外部では教会や協会もシエルやアルクェイド繋がりで志貴は知られていた。
アトラス内部でも、その地位にあるからこそ一癖も二癖もあって、
シオンが志貴に関する全てを独占研究する事が決定されるまで、かなりの羽陽曲折があった。
当然、志貴本人の知らないところで。
ま、それはいつものこと。

今住んでいるアトラス別院は別名、地下迷宮と呼ばれている。
入り口は深い森に囲まれた場所にあり、近くの町まで数十キロの道程がある僻地。
ここに旧本部機能は無くなったが細々と研究は続けられている。
遠くに山脈が見える景色は人工物は全くなくて自然の雄大さを感じ取れる。
島国にはない異国情緒に溢れ、しかし外部からの干渉なくなってもホームシックなんて感じている暇はなかった。
志貴の立場がはっきりするまでは用意された部屋に一人軟禁状態・・・けれど不満はなかった。
通い妻と化したシオンが毎日訪れ、実験や研究と称していちゃついたりしていた・・・そこは実に新婚さんらしかった。
でも、たまには真面目に。
アトラス院やその他の組織のこと、秋葉やアルクェイドの現況を知らせてもらったり、勉学に励んだりしていた。



「先輩はアルクェイドに拘っていたわけじゃないのか」

「ええ、因縁以前に性格的にも合わなかったのでしょう。
それは、私も今だからこそ言えることですが・・・仕事熱心な方ではあるのですが」

「じゃあ秋葉は?性格を言ったら対照的で、絶対に合わせられない二人だと思うけどなー」

「それは学友の三澤羽居さんの影響でしょう、一度お会いになられましたよね?
もう一人の学友の月姫蒼香さんと・・・あと瀬尾晶さん」

「なに?」

「はぁ、もぉ良いです。
つまりですね、私も真祖と話してみるまでは気高き姫であると思っていました。
しかし、あそこまで情報と食い違う理由がわからなかった。
私が志貴に性格を変えられてしまったと同じに、だから真祖も・・・・・・見境無しですね、志貴は」

「違う、違うぞ、誤解だ、それは」

「・・・良いでしょう、勘弁してあげます。
だから話題を戻すようですが、その秋葉に手紙でもしたためませんか?
強情っぱりな彼女には心遣いが必要なんです、私も義妹と縁切りしたいわけではないですし」

「でも、筆不精だし第一あの秋葉が俺の言い訳なんて」

「・・・本当にそうでしょうか?それに・・・そうですね、今は言わないでおきます。
例え、はっきり言っても鈍い志貴には通じませんし理解できるでしょうか?・・・無理です」

「納得できないな、それは新妻が夫に対して言う言葉ではないと思う」

「好きだから言える事だってあるんです、幸せだって思えませんか?」

「うーん」

「まぁこれは争点のない痴話喧嘩みたいな物です。
少し違うかも知れませんが例えるなら夫婦喧嘩です、さぁ二人でこの事も書きましょう?」



筆をとる、こつこつと日々起きたことを記す志貴とシオン。
極めて親しかった者たちが、遠野志貴を怠け者と評している原因は、
働き者の遠野一族を束ねる当主である遠野秋葉と対比してしまうからかもしれない。

志貴は別に勉学が嫌いなわけではない。
夜遊びや女性関係は・・・否定はできないが、酷く心外だと本人は思っているし根は真面目なのだ、と主張している。
近しい者たちから言わせれば、幹と葉が成長する方向が駄目なだけ、とのこと。

そんな平和な生活の中にも、シオンと志貴にとって切実な事柄も存在していた。
ブルーに知らされた警告。
それでも、ヨーロッパとアラビアの技が交わるここでなら、もしくは
源泉は同じくをする基督教と回教の神秘が奇跡を起こすかもしれない。
・・・そんな期待があった、研究が進めば志貴の寿命も延びるかもしれないと。
これは秋葉や琥珀に翡翠、アルクェイドやシエル・・・まして命受け取る事しかできないレンには不可能なこと。

志貴の立場がはっきりして、死徒狩りや破壊の依頼を受けるようになると、シオンは研究と育児に没頭するようになった。
知識ではなく愛の種類を身をもって感じたり、経験値不足から二人してわたわたとしてしまったり。

しかし、たまに息抜きやデートも兼ねて二人きりで近くの街に出かけることもある。
何故息抜きかと問えばアトラス院の秘密主義が理由として上がる。
外部の人間が頻繁に出入りしない、世間とは隔絶閉鎖されたアトラスでは
あのエルトナムに選ばれた男性と言うだけで、志貴の能力知らない者達にも注目されるわけで。

エーテルライト操るシオンが恋愛で結ばれるなど・・・洗脳済み?とか悪い意味での興味も集まる。
地位は不動であるものの派閥作るようなシオンではない、だから正直居心地良いわけではない。
遠野家とは別の意味で束縛されてしまう、と言えるだろうがアトラスという組織の庇護下で得られる安心と引き換えなら安い。

生まれたのは男の子だった。名前はSia、読み方はティア・・・日本語で思案と書く。
志貴の案で日本流に親しい者や両親などから、一字貰う方法でシオンが考え出した。
同性では初めての友となってくれた秋葉から一字、そして戦闘から戦友から思い人へ今では愛しい夫から一字。
・・・またアトラシアの名に相応しく漢字に知の意味をもプラス。
名前の基本はSiaだったが、女性ならば変化形でシンシアなども考えていた。

七夜の技を受け継がせる気はなかったが、血筋だ。
きっと、役立つだろうと暗殺術を仕込むことにした。
シオンは当然のように最強の錬金術師となれるよう、エーテルライトや高速、分割思考を教える。



予測済みです、なんて言える日常は送らなかった・・・志貴が私の計算を狂わせるから。






 ■ ■ ■ 






定期的にシオンからはエアメールが送られてきていたけど、便りの全てに返信したことはない。
私が望む兄さんからの詫びの手紙なんて来ない、薄情者の兄さんがそんな気の利いたことをするなんて思ってない。
今では心待ちにしてるそれを、読む気持ちにはなれない時もあった。
かけおち同然に出て行ってしまった二人。



「また来たのね、もう十を越えたわね」



手紙を手にとり考える、我慢強くなかった過去の私が追い出したのは確か・・・だけど。
半年後に結婚式の写真が送られて来て、本気であなたを殺しに行こうと考えた・・・だけど。



「兄さん、あなたをどうしてあげましょう?」



ちなみにその写真を日本の伝統呪術、その殿堂である牛の刻参りに使用しては、と
爽やかに申し出た人間がいたけどそれはやめた。
・・・でも、とてもお似合いなりますよって本人を前にしてああもハッキリ言い切られると
例え相手が割烹着の悪魔でも、私のイメージって何だろうと改めて考えてしまう。



「ナイチチブラコンの馬鹿デカ人外屋敷に住む遠野一族当主。成長の兆しみせない慎ましい胸が悩みとか、
回復の見込無し重度の兄妹禁断愛好者とか裏で囁かれてるんですよー・・・うふふふふ」

「却下・・・却下却下却下却下却下却下却下却下却下却下却下却下却下!」



泣いて兄たちを追っていた幼少時に比べて、胸部は兎も角
精神的にはある一方向に成長著しい秋葉だったが、他方向には退化さえしていて、プチンと切れてしまった。
琥珀は私の心の声に、心から弾んだ声で実に自然に失礼千万な返事をしてくれた。
・・・以心伝心というより妖怪サトりだ。
そんな芸当までこなすようになって、ますます人間離れしてきたシスコンの悪魔こと
双子の召使い(姉)に往復ビンタを浴びせていると
翡翠がテーブルに乗っているそれを寂しそうに見ているのに気が付いた、私と同じ事を思っているのだろう。
本当に残念なことに、写真の二人を上手く切り分けれそうにない、と。

その後も来るそれを破り捨てたり燃やしたりしていた。
それは実は密かに琥珀が工作済みの偽物だったらしい、それが判明したのは琥珀が油断したからではない。
琥珀が翡翠に執着するように、兄さんの事に関して私は私の事以上に敏感だ。
洩れる言葉や普段の様子や作る空気に、何かを感じたので
それとなく鎌をかけたら案の定・・・発覚したのに言い逃れようとする琥珀。
自供なんて、琥珀的にあるまじき行為だったらしく暫くうな垂れて呆然としていた。
が、同情の余地無く使用人にあるまじき行為で、愛しの翡翠にも言わせると姉さんを犯罪者ですと断罪されていた。



「・・へーっ、そうですかー、秋葉さまも翡翠ちゃんも志貴さんの事が
そんなに欲しかったのなら、ルールなんて自分で作っちゃったら駄目ですよー。二人ともー
いつの間にか私がつまみ食いしちゃっているかも知れませんよ・・・ふふ」



暗く笑う彼女の笑みは相変わらずで、だからそれを見た私は
この身を犠牲にして、社会にこの悪魔を放ってはいけないと決意を新たにした。
これは、だから、たぶん一生変わらない誓い。
・・・それと、密かに兄さんへのささやかな復讐に利用可という意味でも、私の使用人は今でも琥珀なのだ。

帰って来たら存分に苛めてあげようと割り切ってからは、手紙を読むようになっていた。
ペーパーナイフで開くは、向こうの異国の生活のこと、アトラス院のこと、
思わぬこと、シエルさんやアルクェイドさんとの再会など、一番衝撃的だったのは子供が生まれたこと。
悪魔さえ心奪われていたようだ。
琥珀から没収した写真に写った赤ちゃんはとても愛らしくて・・・つまり私もこの子に一目ぼれしていた。

唯一私が全てを投げ捨ててでも欲した人は兄さんだけ、だから私は結婚なんて考えていない。
だからこの子に遠野を継ぐ資格があり、継がせたいと願っている。
何故なら、容貌はやはり男の子なので志貴の幼い頃と似るだろうと親ばか錬金術師が言っているから。

兄さんに似ている?邪な心が芽吹くのを感じた、私は計算する。
再びあの頃の兄さんと会える、と思ってしまった私は計画する。
遠野一族の長としての教育は私自身が直接指導しよう、と妄想する。
無垢な思案に教育を施す私は、時には厳しく優しく飴と鞭を使い分けて・・・
禁断の、って私はいつもこんな役ですね。
仕方ないです、だって私の本物の血縁者の男性たちはアレとアレ・・・
まして婚約していたアレとか、周りにろくな異性が居ないんですから。

失敗した青い年上の誰か達のように一時でも目を離したりはしない、二の鉄は踏まない。






 ■ ■ ■ 






本人にとっては遠大な計画も、協力者どころか周りには敵ばかりの状況下では一パーセントも進まない。
屋敷にシオンの出入りを許す代わりにシアの教育権の一部を委譲させたが
元々志貴付きの使用人は帰ってきた志貴にべったりになり、それに目を吊り上げる回数が増えたたり、
それより重要な計画のため、もう一人はシオンの足止めをして欲しいのに私付きを理由にシアを甘やかす毎日。



「はーい、あーんです。素直でいい子ですねー、次はお姉さんとお庭に」

「琥珀っ、それより私の英才教育を・・・。
とにかくそのスプーンを貸しなさいっ。ほーらシア、あーんしてくだちゃいね」

「えーと、秋葉さま頬緩みすぎですよー・・・それに赤ちゃん言葉。
可愛いシアちゃんに悩殺ですか、うーん分からなくはないですけど。
・・・いつもは本気で怒った時にしかしない満面の笑顔が恐いですー」

「あなたが言えた義理ですか、琥珀は、いえここは実の母である私がやはり」

「シオン?どうしてここに来てるの、ちゃんと私が育ての母として立派に」

「逝ったメイドに夫がそそのかされて、私の相手をしてくれないのですが・・・
私に寂しい思いしていろと言うのは秋葉の狙いですか?それとも琥珀ですか?」

「それは罠よ、きっと、たぶん・・・」

「あはーそうですよー、こーんなに可愛いシアちゃんのお母さんに誰がそんな意地汚いことを」

「・・・そうですか」



琥珀がシアを抱かせると、やはり母親の腕の中だと安心するのかキャッキャと笑う。
シアの笑顔であっさり誤魔化されてしまう、現アトラシア・・・。
エーテルライトをおもちゃにされてもニコニコとさえして、そんな親ばか振りに
誰も何も言わないのは、秋葉も琥珀も同じくシアにノックアウトされている証拠だった。

シアも成長し、自由に走り回る頃になると
この時点では誰も予想さえしていなかった事件を、次々に起こし
屋敷の住人達に計り知れない衝撃を与えることとなる。

赤ん坊は育ち大きくなるにしたがって、怪獣化していくものだ。
両足だけで移動できるようになると、行動範囲は飛躍的に広がる。
まだ庭には行けなくても、一階全ては自由に行き来できてしてしまうから厄介だ。
何事にも自由な志貴の性質を色濃く受け継いでいるのか、少し目を離しただけで逃亡し迷子になる。
そんな時は調度品をキズつけていたり、琥珀も真っ青な破壊の道が出来上がるので簡単に追跡できる。
例えそうはならなくても、シオンを除いて幼少時の経験から子どもの隠れる場所は熟知している。
前回は翡翠がシーツが散乱する部屋でシアを発見した。

基本的に元気なのだが、遊び過ぎの無理が祟って病に伏せることもあった。
免疫力がまだ未成熟ゆえに風邪をひいたり・・・。
そんな時に予想に反してシオンが使えなかったので、代わりに志貴と琥珀が予想以上の活躍をした。
体が弱く病気がちだった志貴は看護知識などは豊富だったし、
琥珀は二代にわたって遠野の異な血と闘った人間、でも今回の場合は感応能力では治癒できなかった。
だから本気で心配して、一晩つきっきりで側に居た。
何故、そんなに肩入れするのかと言えば・・・秋葉の計画乗っ取りを画策していたからだ。

自らは見ているだけだったシオンは、翡翠に優しくしすぎていた志貴を少しは見直し、
琥珀のある意味一途な態度にコロリと騙され、志貴やシア以外の人間も家族として受け入れ始めた。
冷静沈着を絵に描いたような外面を持っても、あの秋葉と話し合うのだ。
心の奥には相応のものを秘めているし、琥珀との相性は搾取する者される者になっていた。






 ■ ■ ■ 






屋敷の庭が見える窓に近づいて、物思いにふけるシオン・・・数年前に再び得た部屋は
もうすっかり内装が整えられ、仕事部屋にはない雰囲気が流れている。
・・・たびたび受ける来年女子高校生となる都古の襲撃時には戦略的撤退をしているが、ここが私の居場所だ。
アルクェイド、シエル、秋葉、翡翠、琥珀を出し抜きより巧く志貴を捕まえたアトラシアの娘は
思い人の為に割かれたリソースを使用して、これからの事を想像もとい妄想していた・・・。



「ふぅ」

「・・・何してるの?」

「わっ、わっ・・・思案、脅かさないで下さい。部屋に入る時の礼儀として秋葉に言われませんでしたか?
誰の部屋であろうと、この屋敷ではドアを・・・窓から入ってきたのですか?真祖?」

「あーこんなとこに隠れてー、インチキは駄目だぞー。シアがつぎ鬼だから早くしてー」

「うん、ごめんなさい。お母さんもするー?」

「しません」



突然背後から呼びかけられ、七夜の技で気配消してきた息子を叱る。
思えばこの一年で随分けんちゃになったものだ、秋葉に問えばますます似てきたと答えてくれた。
私を脅かして喜ぶなんて・・・志貴がもう一人いるようだ。
鬼ごっこの途中だったらしい、真祖と窓から飛び出して行った。

秋葉の個人授業以外は琥珀の部屋に入り浸って、それから後は庭で翡翠と遊んだり
たまにそこへ黒猫と真祖と有間の妹が加わって・・・何というか賑やかになったものだ。
2月に生まれてくる思案の妹が、そこへ加わるのは数年後の事だとしても
秋葉は思案にこだわるだろうし。



「しかし、罪作りな男の子になりましたね。思案」



秋葉おばさん。
それを聞いた二十歳になる前の秋葉は、思案の無邪気な笑顔を見ながら石化していた。
しかし、いつの間にか琥珀と翡翠は本人達の望むままに呼ばれていた。
これに秋葉が激昂・・・内容は語りたくない、奇天烈なことばかりだ。・・・分かり切った結末でした。

琥珀は甘いものなどで思案を釣ったのだろう、翡翠は頑固だから思案が折れたに違いない。
この頃は秋葉と都古の仲が悪い、思案を取り合って、悪口の応酬だ。



「思案のパパに捨てられた妹なんか気にしないで、私と遊びにイコう?」

「未だ兄さんに気軽に話し掛けられない貴女がよくも・・・思案、私とパーティーに行きましょう。
株式を保有している玩具会社の総会の、新製品発表会があるのよ。楽しそうでしょう?」

「お二人とも申し訳ありませんが、週末は家族水入らずで過ごす予定です。
既に志貴も真祖や翡翠にも伝え、快く了承と言って貰えましたので」



割って入り、説明すると都古はこの頃特に仲良くしている琥珀のもとへ。秋葉も後に続く。



「えーっ、そんなの琥珀に聞いてない。相談しないと・・」

「琥珀・・まさかまた」

「・・・計算どおりです、琥珀すみませんが利用させて頂きました。
しかし、休みなく謀りつづける貴女にはいつもの事ながら感心します・・・今回はそれが敗因になりましたが。
思案、なんですか母親に向かってその目は・・・そんなに翡翠の手料理が食べたいのですか?」

「・・・鬼、秋葉の方が優しいよ」

「それは私があなたの母親だからです、甘い秋葉と同一視して貰っては困ります。
厳しくしないと、あなたはただでさえ父親に似て錬金術とは対極に・・・次期アトラスらしく、あっ」

「お説教なんて、やーだもん。アルクェイドと遊んでくるー」



追いかけ、捕まえたが結局その日は真祖の住むマンションに泊まることになる。
アルクェイドブリュンスタッドが思案を放さなかったからだが、それともうひとつ
志貴と一緒に眠ると悪夢を見ないと発言したから、・・・後でしっかり夫に問いただすとして。
それはどんなメカニズムか、真祖の悪夢への介入には興味があったし・・・思案を真中に私も一緒に眠った。












屋敷の人間達や真祖たちに伝えた予定とは違う場所に来ていた、郊外の緑豊かな公園。
日本には都市から手軽な距離に、森林浴できる所は少ないが
多彩な自然を凝縮し、人工的に配置している公園がその役割を担っている。



「どう、ですか?」

「どうって何が?」

「・・・髪型変えてみたんです、気が付きませんでしたね。
男性ならば、特に甲斐性有りすぎのあなたなら一目見ただけで
簡単にダースの誉め言葉が出ると予測していましたが・・・私、魅力、なくなりましたか?」

「そんなこと無い、似合ってると思う。
何も言わなかったのは久しぶりのデートだったから何を話そうか迷ってた。
シアも居るし、結婚してるから、手も繋いでいいのか・・・その、わからないんだよ」

「志貴。意外に初心なんですね」



意外なことに二人とも、まだ恋人気分に浸りたい時もあるらしい。
誰かが天空から舞い降りて来たり、箒に乗って飛んで来るまでの間、限られた時間だが
青空の下で、穏やかな週末を過ごせそうだ。
あの、暖かいが非常識な人たちから離れて、家族水入らずの休暇がとれるなんて、まるで・・・。

夢のよう。

夢?

望む通りの夢なんておかしい・・・真祖の見る悪夢ではないのか?
真祖の夢・・・夢魔?
覚醒を命じ、目蓋を開くと太陽の光が入ってくる。



「・・・やられました」



からっぽのベッド、真祖が真逆こんな周りくどい手を使ってくるとは思わなかった。
実行犯は確かにレンで、指示したのは真祖だが・・・計画犯は思案だろう。
・・・あの子は自由奔放でそのための実力行使は有言実行だから。
今ごろは二人でゲームセンターでゲームに興じたり、自由気ままに遊び歩いている事だろう。
私の気が緩む時をずっと狙っていたに違いない。

・・・甘い秋葉は残念ながら俗な遊びに疎いし、琥珀は逆に得意過ぎて
思案が勝てる要素が少なく、トラウマになりかねない。あの子は本能的にそれを知って接触回避していたのだろう。
それとも・・・琥珀が笑顔で行う危険な遊びを知って、琥珀を畏怖の対象にしたのかもしれない。
翡翠は硬くて、とても柔軟な子どもの世界には入れないと判断したのだろう・・・それは誤解だが
完璧にエーテルライトを使いこなしているわけでもない思案は、もう一人、遊び仲間に入れなかった。
代行者だ、まぁ精神的にも肉体的にも大人の見本のように振舞っているから。



「ふふふ」


色惚けになっていた母を出し抜いた事は誉めてあげましょう、隙を突きかれた責任はありますもの。
今は遊び疲れたあなたが帰ってくるのを待ちます。
ですが、お仕置きは必要ですので手料理を用意しておきますね・・・さて翡翠に助力を請いましょうか。
あと琥珀に裏庭の菜園からの収穫を提供していただきましょう・・・そうそう私は家庭料理というものは
初めて作るのですが、志貴ではなくあなたに作ってあげれるのは、躾に厳しい母親として最上の喜びと思います。







ver 1.13